9月15日(土)午後2時〜4時、賀川記念館で「古川龍樹師を迎える集い」を企画しました。

熊本県玉名市:生命山シュバイツァー寺代表
古川龍樹師を迎える
―「福岡事件」の再審請求運動のいまを語る
  叫びたし寒満月の割れるほど
日時 2018年9月15日(土曜日)午後2時〜4時
場所 賀川記念館4F礼拝堂
神戸市中央区吾妻通5−2−20)TEL078−221-3627
   資料代 1000円 最新刊『古川美智子著『悲願〜「福岡事件」再審運動に捧げた生涯』(B5版、65頁)(頒価1000円)をお渡しいたします。
  
 今回のゲストの古川龍樹(ふるかわりゅうじ)師は、父・古川泰龍師と母・古川美智子さんの御遺志を継いで、龍桃師、龍衍師御姉妹と共に「福岡事件」から70年の今も「いのちのバトン」をつないで、ご家族を上げて再審運動に取り組み、全国行脚を続けておられます。
 
 父・古川泰龍師は、1952年から僧侶として死刑囚の教戒師を務める中で「福岡事件」の二人の死刑囚と出会われ、1961年から二人の無罪を信じて再審活動を開始されました。その運動のさなか、「神戸シュバイツァーの会」代表の向井正氏との邂逅があり、「あなたの運動こそシュバイツァー博士の精神を継ぐもの」として向井氏よりシュバイツァーの遺髪を託され、1973年より宗派を超えて「生命の畏敬」を伝えるために「生命山シュバイツァー寺」を玉名市に開山。1984年には「中国人強制労働犠牲者の慰霊塔の建立」を実現して中国との交流も始まり、併せて諸宗教との交流、とりわけ聖ザベリオ宣教会のフランコ・ソットコルノラ神父との深い交わりが加速して、1987年には玉名に「生命山カトリック別院」も完成します。
翌年(88年)には、泰龍師の名著『歎異抄―最後の一人を救うもの』のフランコ神父によるイタリア語への翻訳出版がなされ、古川師の御家族は「欧州巡礼の旅」がはじまりバチカンにおいてローマ法王ヨハネ・パウロ2世との謁見! 翌1989年秋にはポーランドでの「世界宗教者平和の祈り」に招かれるなど欧州との交流も深まりました。
 続いて1994年には、フランコ神父のご尽力で、書家としても知られる古川泰龍師の「イタリア書展」が実現し、北イタリアの5か所で50日間(1994年9月4日〜11月9日)開催されました。その後、ワルシャワの大学での講演を済ませると、敬愛していたマザー・テレサと出会いが実現します。古川師はその時の出来事を「イタリア書展・感謝の旅」で次のように書き残しています。
 「これはまさに青天の霹靂であった。・・マザー・テレサはわたしの眼の前に確かに現れたのである。・・わたしはこの千載一隅の好機を逃してはならじと、マザー・テレサのあとを追い、三回も握手を交わした。・・マザー・テレサはクルマに乗って発車間際に、ネックレスを鷲掴みにして、わたしに手渡された。・・わたしは一家揃ってこの聖者に会えたことを、何物にも替え難い神の恵みだと感謝した。」(1994年11月26日記)と。

 ところで、本年(2018年)5月、古川龍樹師の母・古川美智子さんの「生誕100年記念」を祝して、好著『悲願〜「福岡事件」再審運動に捧げた生涯』(B5版、65頁)(頒価1000円)を自費出版されました。
古川美智子さんは、1918年熊本県生まれ。旧満州(現中国東北部)から引き揚げ、1952年に泰龍師とご結婚。死刑廃止運動に取り組む修道女・ヘレン・プレジャンさんに勧められて、美智子さんは84歳から92歳でお亡くなりになるまで、ご自身の生涯について膨大な原稿を書き溜められ、これを龍衍師が監修して、毎日新聞の熊本版で2014年7月〜16年3月まで計35回にわたり連載されました。これをこのたび龍衍師の手で読みやすい小冊子にまとめられたのです。神戸での今回の集いは、本書の完成祝いもかねております。

 古川泰龍さんについては、NHKの番組に出演された折の映像などありますのでご覧いただけるかもしれません。昨年(2017年)10月15日付けの「毎日新聞」に掲載された長大の記事「生命のバトンつなぐ」(隅元浩彦記者)や古川師の名著『叫びたし寒満月の割れるほど』(法蔵館、1991年)なども当日ご覧に入れます。
 古川泰龍さんは2000年8月にその生涯を終えられましたが生前、宮沢賢治賀川豊彦が大好きのお方でした。

 龍樹師はこれまでも、神戸学院大学法学部の佐々木光明教授の授業に招かれたり、カトリック社会活動神戸センター(078−271-3248)の山野真美子代表や日本基督教団「番町出合いの家」(078-578-6450)の鳥飼慶陽牧師との交流も重ねてくださいました。この度は、上記の神戸在住の山野と鳥飼が呼びかけ、親しく龍樹師のお話をお聴きする機会が実現しました。
どうぞお気軽に足を運んでください。お待ちしています。